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 IPPNW報告

城北病院 研修医 呉林 秀崇

 今回、IPPNWに参加しました城北病院研修医一年目の呉林です。たくさんの人にお世話になりながらの参加、現地での5日間だったと思います。なんとか無事に帰ってこれたので、報告をさせていただきます。

 インドにたどり着くまでが遠く、ニューデリーについてからあっという間。そんな時間だった。行きの飛行機で、足止めをくらい、香港に滞在すること30時間。飛行機のトラブルだったらしいが、とりあえず何もチェックしないまま、関空ー香港間はフライトしたらしく、香港で部品の不具合とのこと。「安全性」というのは医者になってからよく意識するものだが、どんな職種であれ、つくづく大事だと思った。

 インドに着いたのは、9日の夜。長旅は疲れてすぐ寝てしまった。10日は、目の前に広がる非日常の光景。当たり前のように牛がいて車線を全く無視して走る車がいる道路、目の前を側転しながら”money”と物乞いをする子供ときれいな格好して遺跡に見学にきている子供の差、「外国に来たんだな」と思いながら、日本の当たり前と、インドの当たり前の違いにとまどいながら、IPPNW参加となった。

 初日(といっても全体としては2日目)は「Jaduugoda鉱山周辺住民の健康状態」というプレゼンテーションと分科会は「若い医師・医学生の平和活動を組織する」というところに参加した。

 「Jadugoda村では、子供ができた時、家族は喜ぶのではなく、泣くのです。生まれた子が死んでしまうのではないか、健康に育つのか、不安でいっぱいになるのです」という母親の言葉が印象的だった。(Jadugoda村というのはウラン鉱山がある地域で、核兵器などのために放射性物質が採掘され、近くの村々は汚染のリスクが高い。事実、奇形児で生まれてくる率は約2倍、奇形が原因で死ぬ確率は約6倍、そもそも不妊率も上がり、他にも発ガン率上昇や、寿命の短縮も認められている)放射性物質が悪いとかそういったことではなく、何が原因でどうすればいいとか難しいことは置いておいても、子供が生まれてくるという家族にとっての一番の喜びを悲しまなければならないという状態は異常だと思う。そういった悲しい思いをしなければならない状況は無くせるものであるなら無くしたいと思った。

 「若い医師・医学生の平和活動を組織する」という分科会では、海外の研修医、学生と議論をすることができた。なぜこのような活動を医師になってからも続けるのか?忙しくないのか?研修医は他にすることがもっとあるのでは?自分の持っていた疑問をそれとなく聞いてみた。一生懸命頑張っている人たちにはそんな悩みや疑問はとっくの前に消化されているものだと思っていたが、意外と同じような疑問や、悩みを持っていることがわかり、「できたら学生に戻りたいね」と笑って過ごすことはできたのは良かったと思う。医師である以上、目の前の仕事はとてもたくさんあり、平和の活動や、こうやってインドにくることは、なかなかできるものではなく、毎日の業務の中で、本を一冊読んだりするような時間をとることすら億劫になる自分がいる。自分だけじゃなくて、みんながそういう葛藤の中で、自分のアイデンティティを確立しているというより、いくものなんだなということは、なんとなく励みになったように想う。

 最終日は全体会に参加し、政府の考え、講演を聞いた。海外の医師や医学生ははっきりと自分の考えを述べ、議論していた。内容は、戦争で最初に犠牲になるのは子供や女の人といった無力な存在だという話や、インド政府への働きかけというものであった。自分が想ったことは、英語力のなさ(海外の医師は当たり前のように英語を話せる)と、自分の意思をはっきりと述べるところはすごいなと感じた。奥ゆかしいのが日本人の美徳でもあると思うが、日本の展示がすごい反響を呼んでいたように、日本には誇るべきものがあったり、メッセージとしてはっきり言わなければならないもの・立場があると感じた。

 あっというまの時間であり、インドという国になれた時には帰らなければならないというあわただしい時間だったように思う。そんな中で、異文化に触れ、それでも同じ考えを持って頑張っている感じはいいなと思った。

 帰りの飛行機はずっと寝ていたが、行きの飛行機は関空までの電車で寝すぎたこともあり、起きていた。その時に、Drいるかみたいな英語の機内アナウンスがあり、何も考えずに反応してしまった。行く最中になって、やばいんじゃないかとか何をしよう?何ができる?と考えたりして緊張した。幸い軽い過呼吸かなという感じだけでした。(香港につくまで怖くてなんとなく何回も行ってしまった)香港では元気そうにお礼を言われて少し安心した。反応できたことや何かしら医者らしいことができたことはよかったと思うが、もう少し考えて動かないとやっぱ駄目やなと思った。元気になってくれてよかった。そんなことも考えたIPPNWでした。

 たくさんの人の支えで今回IPPNWに参加させて頂きました。自分の経験として何かしら今後どんな形になるかはわからないですが、お返ししていければと思います。ありがとうございました。